四方山超特急

私は大学生。就活に生きる大学生。

群像劇とテーマ性

託すほどの文量はない。

悲しき哉、中身もない。

 

『大脱走』という名画がある。

捕虜たちが脱走する話だ。

主役は一応、名優マックイーンであるが、主人公は全員だ。

主人公は全員だが、主体は1つである。巨悪たるナチを倒すための連合軍を支援するため、脱獄によって枢軸側の人員を収容所に当てさせることである。

酔っ払ったので続きは後日。

ドラえもんのび太と雲の王国

アニメ・ドラえもんは毎年映画作品を公開する。

シリーズを通したテーマは1つである。

「少年よ、冒険をしよう。」

テレビアニメシリーズは悪く言うと平凡な毎日を繰り返す。閉じ込められた街の中で一話完結の物語が描かれる。

一方で、映画シリーズはドラえもんの道具で日常世界を抜け出すところからスタートする。

そして、映画が公開されるのは毎年決まって夏休みである。

せっかくの休み。学校を離れて、一生に一度の冒険から学び、楽しもう。というのが大テーマであることに違いない。違いないのである。

 

さて、ここで表題の傑作、「雲の王国」についてである。

ざっとストーリーを説明してしまうと、

① のび太ドラえもんの道具で雲の上に王国を建国する。

② 実際に雲の上で暮らしていた天上人に遭遇する。

③ 天上人は環境破壊を繰り返す地上人(我々のことである)を懲らしめるために、大規模なテロを計画する。

④ ドラえもん一行は雲を破壊する爆弾を盾に交渉を行うも決裂。クーデターにより、政権を奪われる。

⑤ 天上人による裁判で断罪されるも、のび太がかつて命を救った異星人により、情状酌量の余地が与えられる。

⑥ もう少し、もう少しだけ地上人の環境への取り組みを評価する時間を与えようじゃないか、という考えのもと、執行猶予が与えられる。

 

ドラえもん映画史上に残る展開の速さを誇る映画なのでまとめるのは困難ですが、ざっとこんな感じです。

 

この映画の珠玉な点につきましては、表テーマで「環境保護の大切さ」を説いているのに対し、裏テーマで「自己犠牲の精神」についても主要人物の非常にショッキングな行為を通して訴えていることです。そもそも、環境保護は消費国の我慢なくしては務まりません。この我慢は自己犠牲の精神にもつながるのです。そして、武田鉄矢が作詞したエンディングテーマでは、「誰かのためになるなら、冷たい雨に濡れてもいい」という言葉とともに、青い地球をバックにして映像が終了します。ここのカタルシス、半端ないです。

 

そして、④における雲破壊爆弾についてですが、まんま核爆弾です。ドラえもんは天上人に対し、「威嚇にしか使わない」ことを前提にしておきながら、結局、悪意ある人間によって使用されてしまいます。これは核による抑止力への質の高い皮肉になっているのではないでしょうか。

 

当作品は、説教要素の多いドラえもん映画の中でも特に説教臭い映画として賛否両論ですが、メッセージ性が強いために、解釈の余地も非常に高い傑作となっていります。

よろしくどうぞ

好きな映画ランキング

1位 インターステラー

2位 バックトゥザフューチャー

3位 大脱走

4位 ラ・ラ・ランド

5位 (500日の)サマー

6位 オールドボーイ

7位 ソーシャルネットワーク

8位 セッション

9位 シン・ゴジラ

10位 14人の怒れる男

 

10位 ディスカッションのすばらしさ、14人に一部の無駄もない脚本の妙を見せられた。真実にたどり着こうとする姿勢はとても尊い

9位 うんこ量産機と化していた日本の映画産業が可能性を見出した傑作。ゴジラを題材に、その宿命である天災に立ち向かう日本と日本人をよく描いた。

8位 高みを目指すまでの狂気を描いた傑作。

7位 見せ方、編集技術は屈指だと思う。何が面白いのか説明するのは非常に困難だが、

6位 韓国映画独特の気味の悪さが日本原作の漫画を大傑作映画に昇華させた好例。邦画でこのクオリティ(主にグロテスクさ)を作り出すのは困難ではないだろうか。

5位 無情にフラれた経験を持つ男なら誰しもが共感を持てる映画なのではないだろうか。女というのはかくも薄情で、身勝手で、それでいて魅力的なのである。

4位 夢を叶えるためには何かを犠牲にしなくてはならない。犠牲にした未来は夢でしか見ることができない。2つの夢を描いた傑作。傑作と呼ばれたセッションの次作で前作を超えてしまう監督の才能を垣間見た。

3位 愉快痛快。3時間の大長編のくせに一切の無駄なし。個人的にはボートでのゆったりした独瑞国境突破が大好き。

2位 エンタテイメントの高み。それ以外に語る必要があるのだろうか。

1位 ”時間”という概念の残酷さ。

映画とテーマ

ここ数日、世で評価の高い映画の数々を適当に総覧しながら、「名作の条件とはなんであろうか」という問いに想いをめぐらして来た

 

*あくまで、「ぼくのかんがえるさいきょうのえいが」の範疇であることは了承されたい*

 

その中で行き着いた1つの仮説がある

「あるテーマを視聴者に問いかけること」

 

テーマは普遍的であればあればあるほど良いが、そうでなくても現代の抱える何らかの問題に鋭利に切り込んでいれば、より強力である

 

テーマについて、明確な答えを提示することは好ましくない。「0か100か」のテーマなどそもそも面白くなるはずもないし、視聴者が答えを解釈する行為はとても尊い。作り手と受け手のとっての双方向のメディアになりうる。

 

ところで、、残念ながら上記の条件を満たさない名画はたくさんある。

思いつくのはアクション、ホラー、サスペンス、そして群像劇だ。

アクション、ホラー、サスペンスについては説明するまでもなかろう。シナリオに求められる水準が違う。

ストーリーの破綻さえなければ合格の脚本として許される。

群像劇については後記に託したい。

ララランド

映像作品における音楽の重要性は極めて高い

 

楽曲のクオリティはシーンの魅力を更に上のレベルへと昇華させる

視覚・聴覚に強く刻まれた記憶はしっかり余韻として視聴後も残っていく

 

幼児や老人の写真のバックに小田和正が流れれば、ささやかな幸せを愛おしく思えるし、

腕まくりした土建屋さんの映像と共に中島みゆきが流れれば、困難に打ち勝つ強い男たちの物語に目頭を熱くするだろう

 

ララランド、楽曲のメロディラインや挿入のタイミング、テーマのアレンジなど音楽面で魅了されすぎてシナリオについて冷静な評価ができないでいる

 

ララランド、素晴らしい

人生ゲーム

型にはまった生き方に憧れつつも、それを忌避してきた。

ギリギリまで自分の進路は決定したくなかった。今もそうだ。

働き、金を貯め、車を、家を買い、結婚し、子供を授かり、育て、自身は老いて、いずれ死に至る

という人生ゲームのレールから外れたくはないが、それで終わるのか、という物足りない感覚もある。